豊かな人生をともに育む
「生活の一部」としての存在へ
私は、関わりのあるすべての方が健康で、夢や目標を叶え幸せな人生を送ってほしいと思っています。そのために、全身の健康をお口から維持するための真の予防を追求し続けていきます。
日々の予防があなたの日常になり、当医院へケアをしに来ることが生活の一部となる。そんな存在として、未来まで患者様と関わり合っていける関係でいられるよう日々サポートしていきます。
医療法人社団 栗林歯科医院
理事長
医療法人社団 栗林歯科医院
理事長
例えば、食べ物は身体をつくります。食事と一言でいっても、栄養のバランスはどうか、どのように調理するか、食べ方はどうするかなどによって、身体やお口・歯に与える影響は異なります。食育という言葉があるように、食べるという行為には、健康を促し、維持するために知っておかなければならないことがあります。食について学び、意識することで、身体を形成する本質的な予防につながるのです。
また、不健全な睡眠は、睡眠時無呼吸症候群や歯ぎしりなどを引き起こし、健康や成長に悪影響を及ぼします。寝る前の習慣や、睡眠中の呼吸、姿勢など正しい知識を取り入れ実践し、良質な睡眠を得ることで健康につながるのです。このように、日常生活の全ては、お口の健康、さらには全身の健康に関係しています。
私は、真の予防をご提供するために、歯科の各分野の専門家と連携することはもちろん、生活の一部である食べ物や睡眠の専門家ともタッグを組み、患者様へ正しい情報をご提供していく必要があると考えています。私も初めからお口の健康に、食や睡眠が大切だと知っていたわけではありません。私がその大切さに気づいたように、他の方にも大切さに気付いてほしい、健康こそが幸せの第一歩であるということをお伝えしていきたいと思っています。そのために、歯科領域だけにとらわれず様々な関わりにも目を向け、本来の意味での“真の予防”を実践していけるよう、これからも努めてまいります。
栗林 研治の今に至るまで。そして未来へ。
東京で勤務医として働いていた祖父が、関東大震災をきっかけに大分の実家に戻り、1941年に栗林歯科医院を開業。私で三代目になります。幼いころから祖父・父の歯科医師としての姿を近くで見てきて、憧れを抱くようになりました。また、祖父の“東京で開業したい”という夢を受け継ぎ、この地関東で歯科医師を目指しました。
勤務医をしていた6年間(1800日)は、毎日診療日誌を書き続けていました。成功したことや失敗して患者様から怒鳴られたこと、将来やりたいことなど、私の歯科医師としての全てがこの日誌に詰まっています。休みの日は、日本歯科大学図書館の地下にある研究論文室で過ごしたり、処方や歯科材料のファイリングなどを行ったり、医学的根拠のある診療のための勉強をし続けた6年間でした。
日々の診療日誌と共に材料ファイルも作成。毎日の中で、歯科材料は日進月歩の勢いで、開発されています。しかし、それを良いか悪いか見極めるのは、歯科医師本人と気付き材料の情報をまとめることに。僕は、ひとつひとつ材料の説明書を熟知してファイリングする事によって、材料の特徴を理解し活かせるようになりました。
医科との連携を視野に入れ、医療フロアを開業場所として選定。内装工事の構想に3年、着工から完成まで1年、計4年をかけて本院の完成に至りました。どのような医院にしたいか、将来の構想をコンセプトブックにまとめ、工事に関わる全てのミーティングに参加。こだわりぬいた医院が完成しました。
当時はシステムが確立しておらず、ルールを作るところから始まりました。すべてが初めての体験で「わからないことがわからない」という手探りの状態で、お手本がほしいと心から思っていました。この時の経験は、歯科医院の開業を目指す歯科医師へのアドバイスにも活きています。
頭文字Kを、方向・透明性を示すブルーと、綴り続ける本をモチーフに、多方向に伸び、開き続けるページで躍動感を演出しました。若いメンバーとともに成長する、未来に向けた可能性とエネルギーを表現しています。
東日本大震災の影響で浦安全域が液状化。断水が起こり、コンビニやスーパーは品薄状態になりました。そんな中、2ヶ月間は患者様がほぼ来ない状態ながらも診療を続け、実家から取り寄せたペットボトル飲料水の配布をおこないました。売上も激減、今後患者様が戻ってくるのかわからない状態の中で、目標を見失いかけ「絶対に安心・安全な経営はない」ことを実感しました。変化し続けられる経営者になろうと思ったきっかけとなりました。
はじめは、理解が追い付かず、何をやっているのか全く分からない状態でした。この留学では、噛み合わせに関する本質を学び、歯と歯の噛み合わせから、顎の運動や筋肉の動き方までを考えた噛み合わせに認識が変化。現在の診療方針を確立するうえで、大きな影響を与えてくれた留学となりました。
そして、Prof. Rudolf Slavicekには、歯科医師は世界で一番大切な職業と思わせてくれるほどの価値を教えてもらい、この出会いは、歯科医師としての考えが変わった大きなターニングポイントとなりました。
それまでは目の前のことだけに奔走していましたが、震災を経て本質が求められる時代になると感じ、海外研修や留学などグローバル化を考えるようになりました。震災により様々な決断を迫られる中で、正しい知識を身につけることが決断するうえでの材料になり、正しい判断ができなければ本当の安心・安全は得られないと痛感しました。そして勉強のために、イエテボリ大学やスイス歯科衛生士学校での研修を経て、ウィーン大学へ留学。ここで、メンターとなるProf. Rudolf Slavicekと出会い、歯科医師としての本質を学びました。
東日本大震災の復興までに3年がかかり、その間は時間に追われる毎日でした。そこで時間について学びを得たいと思い、導入したのが「SMI」。タイムマネジメントに加え、実践的な自己開発・自己啓発についても学ぶことで、「目標を持つ大切さ」を実感しました。栗林歯科医院が掲げるビジョンやミッションにも反映。スタッフの人材育成にも役立てるきっかけとなり、栗林歯科医院第2のスタートとなりました。
人材育成に重きを置いた経営をしていたこともあり、歯科衛生士学校での講演や講師、中学生の職場体験の受け入れなどを行い、未来を担う生徒に予防の啓蒙を行いました。そして、ブリオベッカ浦安プロスポンサーに。
ブリオベッカ浦安には、ジュニアスクールがあり、育成に重きを置いたチーム作りという点で栗林歯科医院の方針とマッチし、コラボイベントの開催を行いました。小さな子どもに、歯へ興味を持ってもらい、サッカーを通じて正しい予防の意識とデンタルIQを高めるための機会を作ることができたのは大きな意味があると自負しています。ここで出会ったご家族が今でも当医院へ予防にいらっしゃってくれており、子どもたちにも少しは伝わったのかなと嬉しく思っています。
全国の歯科医院の学術と経営・教育の両立を目指しサポートを行う、MID-Gの役員を2014年~2018年まで経験。そして2018年に医療法人社団 翔舞会荒井昌海理事長の推薦により、理事を就任しました。歯科関係の企業80社と歯科医師の仲介を行っている中で、歯科医師と企業の話し合いが全く足りていないことを痛感しました。日本の歯科医療の良い仕組みや環境を作るためには、歯科医院と企業が手を取り合って知恵を出し合うことが必須です。自分自身の経験を活かし、一緒に価値観や夢を語ったりすることの大切さを広めながら、現在も企業と歯科医師の橋渡しを行っています。
SMIプログラムの導入により、業界やコミュニティに変化をもたらした人物に贈られる1年に1度の名誉あるアワードを受賞。アメリカのサウスカロライナ州・マートルビーチにて受賞式典が開催され、世界一の称号を得ることができました。
開業後安定していた医院運営が2011年の東日本大震災の影響で一時閉院を考える状態に。しかし、SMIという考え方を知り、取り入れたことで売上も安定し、現在はスタッフの夢に向かって邁進できるようになりました。このような賞をいただけたことは、今後の医院運営、後進の育成を行ううえでの自信となり、新しい考え方を進めていく新時代の幕開けとなりました。
開院して10年の振り返りと、次の10年の目標設定を行うためになにか記念になることをしたいと考え、「関係者の方々に直接感謝を伝える場」として、10周年記念パーティーを開催しました。振り返りはこの日まで。次の日からはすでに未来を見据え、患者様とスタッフが夢を叶える環境をつくるためにスタートし始めました。
次の10年の間に叶えたい夢は、「患者様とスタッフ全員の幸せの実現」です。幸せに過ごすために、健康は欠かせません。その健康を予防という観点からお守りするために、「真の予防」を追求していこうと考えています。
その「真の予防」のひとつが「食育」です。健康の全ての入り口は「口」です。それぞれのスペシャリストとタイアップしていくことで、本当の意味での「真の予防」を患者様へご提供していきます。そしてスタッフの育成にも力を入れ、夢を叶えるための時間とお金を生みだすための育成にも力を入れていく期間にしていこうと思っています。
2029年の20周年の際に、良いご報告ができるよう日々邁進してまいります。